part 1:出立前の功徳

 釈興然師に寺を追われた慧海は、そのままインドに向けて出国することにした。さしあたって友人と信者に別れを告げに回ると、「何か選別を」と申し出る者が少なからずいた。

 最もありがたく感じたのは、生物の生命を絶つことを禁じる「不殺生戒」を守るという約束をしてくれた3人だ。

 一人は、東京の投網漁の名人だった高部十七氏。慧海が訪ねていくと、浮かぬ顔をしていた。聞けば、かわいい盛りの幼子を亡くしてしまったそうだ。そこで慧海は「あなたは我が子を縛って捕まえ、殺して食う者がいればどう思うか」と聞けば、高部氏は「それは鬼だ」と言う。「その鬼の所業を、魚に対してやっているのは誰か」と説くと、どうやら氏は気付いたらしい。

 慧海が投網漁をやめることで、旅のはなむけにしてほしいと頼むと、ついに氏は網を渡し、慧海はそれを火鉢の中で燃やしてしまった。燃え上がる炎は、氏の煩悩を滅した智慧の光のようであった。もう一人は堺の伊藤市郎氏だ。慧海の竹馬の友で、やはり網を焼いてくれた。

 そして大阪の船場で鶏商屋「泉清」を営む渡辺市兵衛氏は、なんとその店をたたんでくれた。渡辺氏は資産家であり、慧海が「そういう殺生な商売をしなくても充分生活ができるはずだ」と意見したら、約束通り鶏商を廃業し、株式仲買と貿易で生計を立てるようになったのである。

 普通の人から見れば過ぎた行いのように感じるかもしれない。彼らがそれほどのことをしたのは、慧海を慕っていたからか、チベット行きが想像を超えるほど危険なものであったからなのか。いずれにせよ、不殺生戒の遵守という功徳が、困難な旅の一助となったと慧海は信じている。

 ちなみに慧海の元には、餞別が530円ほどがあつまった。貯金100円を足して、ここから旅行準備に100円ほどを使って出国した。ちなみに、当時の公務員の初任給は50円である。

Illustration:Tomokazu Murakami

トリ

山を眺めるのは好きだが、登るのは年に1回で十分と思っているインドア派。仏教が好きすぎて、河口慧海の「チベット旅行記」を現代語訳している。美味しい日本酒と魚もこよなく愛している。

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