島原セクションハイク Day 3

Kyusyu Maimai Trails

九州自然歩道の起点、福岡県の皿倉山山頂にある元標。長距離自然歩道提唱者ベントン・マッケイの言葉が刻まれている。(写真=一般社団法人 九州自然歩道フォーラム)

九州自然歩道は、九州を一周する総延長2932㎞の道。どこから歩きはじめても、一周回って戻ってこれるロングトレイル。自分が持てるだけの荷物を背負い、ゆっくりと歩いてほしい。カタツムリのシンボルにはそんな想いが込められている。

悩みや心配事は置いて行こう。草木を愛でながらこつこつ歩くと、今まで見えなかったものに気付くかもしれない。歩く旅は、少しずつ確実に前に積み上げていく、ポジティブでクリエイティブな行為だ。さあ、最初の一歩を踏み出そう。

Day 3

雲仙温泉街の息づかい

ふかふかの布団に埋もれて迎える3日目。外は真っ白。湯けむりなのか、霧なのか。小雨も降っていて、幻想的な雰囲気。
今朝はのんびりすると決めていた。ここまで歩いて来たのだから、雲仙を満喫しなければ損である。まずは、だんきゅう風呂に入って、パン屋で朝食を取る。店を出るころには雨も止み、晴れ間が見えてきた。

白く煙る街は、まるで異世界に迷い込んだかのよう。足元には、地熱でまどろむ地域猫。冬も地獄はあたたかい。

朝風呂に訪れたのはだんきゅう風呂。だんきゅうとはらっきょうのことで、らっきょうを漬けていた大きな樽を浴槽に使用していたことに由来している。

残念ながら現在は樽ではないので、匂いもらっきょうのかけらもないが、とろりとした心地のよいお湯なのでおすすめ。

地域猫とまどろんでいたら、お天道様に照らされた。私たちは晴れ女だね!と励まし合い、青空に駆られて雲仙を出発。島原の旅も後半戦に突入。これから雲仙普賢岳を2日かけて下山していく。重たいザックを背負い、お世話になったゲストハウスTSUDOIに別れを告げた。今日はここから峠を越えて、論所原キャンプ場へ向かう。

煙が沸き立つ地獄のルートを進む。刻々と移り変わる湯気の中を歩けるのはここだけ。

激しく湧き出る様子はまるで生きているかのよう。このエネルギーの源は橘湾の海底にあるマグマ溜まりにあるという。いまも地獄は普賢岳方面に移動しているそう。この山は生きている。

湯けむりの中現われたのは、お糸地獄。

その昔、島原城下で、たいへん裕福な生活をしていたのに密通をしたあげく、 夫を殺してしまったお糸という女がいました。お糸が処刑されたころにこの地獄が噴出したので、 「家庭を乱すと地獄に落ちるぞ」という戒めを込めてこの名前がつけられたと云われます。

お糸地獄 案内板より

実らぬ恋の行き着く先が地獄とは。恐ろしや。
地獄とは仏教由来の言葉。雲仙は、およそ1300年前(701年)、奈良時代の僧「行基」が最初に開いたとされ、当時は女人禁制の霊山だった。西の高野山と呼ばれる程、栄えており、 そのため地獄の噴気箇所には、当時の仏教説話にもとづいた地名が数多く付けられている。

今度は十字架を見つけた。こんな観光客が多いところにお墓があるなんて。

キリシタンが厳しい弾圧を受けていたころ、幕府は改宗を迫る手段として、 温泉の熱湯をかけるというひどい仕打ちを行っていました。寛永4年(1627年)からの7年間にこの地で殉教していった物は33名といわれています。この地獄を見下ろす丘の上に建っている十字架は、今なお殉教の信徒をたたえています。

案内看板より

弾圧を受けても、信じなければならない。その状況は容易に想像できない。のほほんとした自分と比べて考え耽る、地獄の歴史。

和と洋が混ざった建築様式が特徴の雲仙温泉街。昭和7年、国策として外国人向けのホテルが日本各地に建設される時代に、国際的な避暑地として発展した。中国大陸と日本をつなぐ長崎に、欧米人が避暑を求めて雲仙を訪れるようになったのだ。

クラシックな佇まいに誘われて、ふらりと入りこんだのは雲仙観光ホテル。昭和10年創業、ハーフティンバーのスイスシャレー様式と言うらしい。ハンガリーから雲仙に訪れた、文化使節団メンバーは「東洋的であり、西洋的であり、しかもなんら不自然さがない」と賞賛したという。

雲仙観光ホテル
〒854-0621 長崎県雲仙市小浜町雲仙320番地
0957-73-3263

出会うのは、昔のものだけではない。2021年8月に発生した土砂災害の爪痕が未だ残っている(2021年12月現在)。きっと数年もすればこの遊歩道や施設は元通りになるのだろう。

後ろ髪を引かれながら街を後にする。陽の光が道を照らしている。雲仙は生きとし生けるもの、すべての鼓動が聞こえる街だった。

何かに追われるのが日常になった時、ふと旅をしたくなる。温泉に浸かりながら、日々を振り返るのも悪くない。雲仙の街を出るころには、前を向いていた。

高岩山の大男伝説

目指したのは標高880mの高岩山。この山にはみそ五郎という大男のお話がある。

昔むかし、高岩山に大きな男が住んでいました。男は雲仙岳に腰かけるほどの大きさで、みそ好きだったので「みそ五郎やん」と呼ばれていました。
 ある日、みそ五郎が畑仕事をしていると、鍬に力が入りすぎて、土塊が有明海に飛び「湯島」ができました。掘った後には水が溜まって「雲仙の空池」になり、転んだ拍子に怪我して、赤い血が流れ「島原の赤土」ができました。風の強い日には、沖に流された何層もの船を陸に引っ張り上げました。村人たちは、みそ五郎を取り囲み、喜び、感謝しました。このお話は今でも人々の心の中に永く語り継がれています。(参照:島原半島ジオパーク)

高岩山には、みそ五郎が遊んだお手玉石や大きな足形が残っているそう。 みそ五郎の足元にお邪魔します。

雲仙の町から車道を2km歩いた先にあったのは宝原園地(ほうばる)。5月になるとミヤマキリシマが咲き、色鮮やかな公園になる。ここから高岩山登山口に向かう。

登山道にはいると、杉林の中に厳かな雰囲気の鳥居が並ぶ。木製だけでなく金属製の鳥居もある。いわれは不明だが、農民の神・保食神が御祭神と言われている。鎌倉時代末頃からは修験の場として、江戸時代に入ってからは共同の霊場として使われてきた。みそ五郎のように、みんなに愛されている山。

山頂付近までくると、再び大きな鳥居を発見。つぎはぎされた補強の跡から大切にされているのがわかる。
次は朱色の鳥居。色には魔よけの意味もある。結界をはっているのだろうか。地獄の鬼はここまではこれまい。
山頂に到着!高岩神社の上宮。社内には水鏡と御神体が祀られていた。修験の山だけあって、道中には岩塊や石の階段など信仰の跡が残り神聖な雰囲気が漂う。
御祭神を背に、有明海と島原半島を眺める。みそ五郎はここから、海へ顔を洗いに行ったのか。デカすぎるだろう。ちっぽけな私たちでは日が暮れそう。
みそ五郎がお手玉にして遊んだといわれる手玉岩。雲仙岳に座り、この岩でお手玉をして遊んだそうだ。なんだか縮尺が分からなくなってきた。
ここも椅子にしていたのかな?さっちゃんが岩に登り歓声をあげている。ここからの眺めは絶景らしい。私は尻込み。

島をつくり、池をつくり、土をつくる。みそ五郎はまるで自然そのもの。もしかすると激しくも優しい山の恩恵を島原の人たちは「みそ五郎」と呼んだのかもしれない。みそ五郎やん、ありがとう、お邪魔しました!

高岩山を後に、ここから西に4キロほど山の中を歩いて、論所原キャンプ場へ向かう。あまり使われていないのだろうか、道は荒れている。
人が歩かなければ道は自然へと帰って行く。

崩れていない道もあった。高岩神社へ向かう参道と似た材料で補強された道。同じ時代に作られたのだろうか。まるで何かをはめる様な、不思議な形状をした石材。木道だったのだろうか、もはやそれを辿ることはできない。道がなくなる前に、もっと歩き、もっと先人の文脈を辿りたい。

ブロックを辿って、山を抜けると塔ノ坂という集落にたどり着いた。なんだか懐かしい風景。人の生活と山は繋がっている。
山里の素朴な石垣。不揃いだけれど、形を組み合わせると調和する。人と自然もそうありたい。
キャンプ場まで残り3キロ。残りはコンクリートの車道を辿るのみ。

本日のゴールであるエコ・パーク論所原に到着。よく手入れされている高原のようなキャンプ場。ペグも刺しやすいし、水も豊富でシャワーもある。

本日の宿は、1区画を贅沢に借りたショウリョウバッタ。区画ごとに虫や花の名前がついている。もう少し歩きたいねと言いつつ。名残惜しい夕暮れ。明日が最終日。

キャンプ場だけでなく、動物と触れ合ったり、畑も併設されているなど、家族でゆっくりと楽しめる施設。

エコ・パーク論所原
南島原市北有馬町丙4731-2
0957-65-7056

Day 4へつづく

島原セクションハイクの全行程


計画に役立つ関連サイト

九州自然歩道ポータル
全ルートの「ハイカーズマップ」を公開。データが重いので表示に時間がかかる場合あり。

環境省「長距離自然歩道を歩こう」
環境省の国立公園ポータルサイト内にある日本全国の長距離自然歩道を紹介するページ。

九州自然歩道フォーラム
九州の豊かな自然、歴史、文化、人をつなぐ、ナショナル・ロングトレイルの実現を目指して、設立した個人及び団体のネットワーク。

原田 優

福岡県出身。中学校の国語教師を5年で退職。ふらりと始めた九州自然歩道のセクションハイクをきっかけに、ロングトレイルの面白さに目覚める。現在はフリースクールやカフェで働く傍ら、ロングトレイルライターとしても活動中。

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