prologue:1冊との出会い。

 1冊の本との出会い。そこから始まった。

 年の瀬も近づいてきた雨の日だった。天気予報はこの日も見事に的中。順当な曇天である。仕事は休みなのに、外に出づらいのが難点だ。いつもなら、近所をランニングするか、山登りに行くのだが、雨がうらめしい。朝の日課になっている犬の散歩で、容赦のない雨にこごえたこともあり、外出する気はとっくに萎えていた。

 ときおり窓を打つ雨音を聞きながら、家の中で過ごす。とくに予定もない昼下がりに、ひまを持て余まして、年越し、正月用に読む本を検索する。こんな天気が連日続いていたこともあってか、「山」「旅」など自分のやりたいことを自然とキーワードに選んでいた。

 無数の本から気になる1冊が画面に表示された。

 タイトルは「日本山脈縦走」。62年も前に行われていた本州縦断の記録だった。山口・秋吉台、青森・八甲田山から2つの縦走隊が出発。山々を越えていき、目的地である富士山の山頂で、最後に合流するという内容だった。移動距離の総計は3000kmとスケールの大きな縦走である。長距離を走るのも、山も好きということもあり、興味をひかれた。

 残念ながら絶版になっていて、手に入れるには古本を買うしかない。流通量が限られているため、けっこうな高値だった。ランニングシューズ1足分。衝動買いするには、ためらってしまう。

 衝動買いはできなかったものの、気になってもう少し安値になっていないかと粘り腰で探す。液晶画面を見ながら指を動かすだけで1歩も動かずに書店巡りができる。楽なものだ。とはいえ、探しているうちに外が暗くなっている。さすがに時間をかけすぎた。そろそろ切り上げようかと思っていたところで手が止まる。フリマアプリの中で見つけた1冊だけ、相場よりも半額ほど低い価格がつけられていた。

 思い返すと、それでも割と高額なのだが、ずっと探していて精神的に疲れていた。これなら、シューズ片足分である。かなり買い求めやすいのではないか。いや、買うしかない。疲れは思考をシンプルにしてくれる。悩むのも面倒になり、即決したのであった。

 特に考えもなく買ってしまった。そのことからも分かるように、この時点では自分で壮大な挑戦に乗り出そうなどとは考えてもいなかった。

 なにせ、本州縦断である。

 ランニング好きが高じて、僕は250kmを1週間で走るランニングレースには何度も出場していたものの、12倍もの距離となると、さすがにイメージができない。そもそも普段、走ることのない人からすると、250kmという距離も似たようなものかもしれないが、よく分からないという点においては、おそらく同じような感覚だろう。

 よく分からない以上、チャレンジしようだとか、可能性を検討するということもない。唐突にピンチョスと言われても、どんな味の料理なのか分からないのと同じで、想像もできないのだ。

 この時はただ、出品者に対して、相場よりも安く売ってもらえることに、どうやって感謝を伝えようかと、メッセージの文面を考えることで頭がいっぱい。お得な買い物ができてよかったと能天気に浮かれていた。

 何気ない日常に転機は隠れている。この日がそうだったように。その瞬間は分からないのだ。気がつくのは後々になってから。大変な思いをするのは、これより半年と少し経った後にである。

 待ち望んでいたはずの本は、期待していたようなものではなかった。もっとも、それは縦走での体験を臨場感たっぷりに伝える内容だと勝手に思い込んでいたから、想像と違っていたというだけのことだ。実際には、その日の行動記録がメインで、どんなルートを通ったのかが主に記されていた。あまり主観的な描写がないので、縦走の行程をたどっていくには、簡潔で読み進めやすいものであった。

 読み物としての面白さは想像を上回らなかったものの、足取りを追いかけるのが想定外に楽しかった。

 ルートに関しての描写は「●ー●ー●」と地名が書かれているのみで、詳細な地図はない。縦走隊の詳細な足取りを知ろうと思うと、グーグルの出番である。山名や地名を打ち込んでは調べていく。山の名前はヒットしやすいが、地名の方が引っかからない。なにせ60年以上も昔の地名なのだ。合併して消滅していたり、地元では通用していても地図情報として公的に使われていないこともある。

 消えた地名を見つける時には、国土地理院の地図を参照して、しらみ潰しに探す。ルートになっている山は判明しているのだ。それをヒントにこの登山道をたどったはずだと推測して、その道のどこかに似たような地名が残されていないかを確認していく。自分の推理が当たっていると、やっぱり、ここから来たのかと嬉しくなる。世紀をまたいでのストーキング行為である。

 想像と違っていた部分はほかにもあった。縦走というタイトルの響きから、すべての行程を自分の足で進んでいるのだと思っていたら、「ジープ七時間」という記載。山以外のエリアは車で移動していた。意外と自由である。山だけでも果てしない道のりに変わりはないのだから、すべてのルートを自力で行くことには、それほどこだわりはなかったのだろう。悪天候に見舞われて、予定していた山に登ることなく迂回することもあれば、車に乗ってパスしてしまうこともあった。日程的に天候が回復するのを待てないという事情があったようだが、天気に合わせて行動を変えられるしなやかさにも惹かれるものがあった。

 天候や体調不良、そのほかのアクシデントが起きた時に、当初の予定に固執して進み続けるのではなく、状況に合わせて柔軟に対応することの方が難しい。ランニングレースでも、ケガ、体の不具合などに襲われても、限界まで走り続ける人もいる。リタイアした場合に未練が残るから無理を重ねる方が心理的に気楽なのだ。限界を迎えてしまう瞬間まで、その後にどんな代償尾を払うことおになるのかを想像するのは困難だ。挑みすぎた果てに熱中症や低体温症で搬送されてしまうかもしれない。

 僕自身がそう考えているから、悪天候で終日停滞する日に書かれていた「豪雨のため藤七温泉で待機」の描写は好ましかった。拍子抜けするほど短い文章である。それでいて、身動きが取れない以上は書けることなどないという開き直りのような意思表示である。

 読み進めるうちに、これって自分でやれないだろうか。そんなことをぼんやり考えるようになった。もっとも具体的なプランはまったくない。できるという確信はないし、詳細なルートも把握できていない。どれくらいの期間になるのか、開始時期はいつがいいのか、はたして独力で実現できるのか。

 ひらたく言えば、この時点では夢想にすぎなかった。宝くじが当たったらどう使おうかというのと同じ類の話だ。実現する、しないに関わらず、想像するのが楽しかった。

 おぼろげにできたらいいなと考えているうちに、どれくらいの期間があれば、走って踏破できるのだろうかと、少し踏み込んで考えるようになった。2つの縦走路を合わせると3000kmほどだ。

 現状で考えると、フルマラソンくらいの距離なら、マイぺースに進めば、ちょっとした山があっても無理なく毎日走ることができる。となると、必要な日数は70~80日。それくらいあれば日程的には問題なさそうだ。もっとも、3000kmはさすがに未知の領域になる。これまでに経験のない距離であり、最後まで体調を維持できるのかは分からないが、それはこの時点で考えても仕方がない。

 それよりも、縦走に挑むにあたって、最もネックになるであろう時間の確保は、幸いにも自営業だから融通を利かせやすい。主な仕事であるライター稼業とニュースサイトの編集作業は、仕事関係の相手に長期で休むと早めに伝えておけば何とかなるだろう。

 ルートの選定、道中での食料や水の確保など、具体的に決めなくてはいけないことは多いが、時間をつくれるから、ハードルはかなり低くなる。

 詳細を煮詰めて、準備で動き出したら、今よりもっと楽しくなるはずだ。あとあと考えると、やや短絡的ではあるが、新年を迎えて間もない頃には、日本山脈縦走に挑もうと決めていた。

 やると決めてしまうと、思った通りであった。毎日が充実していく。大きな目標を立てて、真っ直ぐに向かっていく。それだけで生活に張りが生まれた。本州を縦断できるだけの体力をつけるために走り込む。この1歩が日本山脈縦走につながっていくのだ。と考えてはニヤニヤしながら走っていた。もちろん、努力は必ずしも結果に結びつかない。ただ、結果が出ようが出まいが、目標のために何かをするということに喜びがあった。

 今日という日の小さな行動、決断が大きな挑戦につながるという確かな感覚。昨日よりも、少し長く走った。ちょっとだけタイムがよくなった。体幹トレーニングに取り組んだ。何をするにしても楽しさが増した。1週間、1カ月と時間があっという間に過ぎていく。

 ちょっと高額だと思っていた本だったが、準備期間でこれだけ楽しめているのだ。むしろ、コストパフォーマンス抜群である。もう十分に元は取れている。

本を読んで行きたくなり、2019年にはコッパーキャニオン(メキシコ)のレースに出場。
その場所の歴史やバックグラウンドを知ると、走ることが重層的に楽しめる。

準備は計画的に

 こつこつと準備を進めていて、最初の壁はルートの策定だった。年明け早々に、西縦走隊のスタート地点である秋吉台から山口市内までを下見した。地図上で通ることのできそうな林道や登山道を見つけ、本に記載されていた地名をつないでつくったルートをたどる。

 人がほとんど入らなくなった里山を抜けようとすると、地図には道が載っていても、現地に行くと廃道になっており、誰にも踏まれていなかった。竹林の間を通っている小道などは、大きく成長しきった竹が至るところで倒れて横たわり、障害物となって行く手を塞いでいた。未舗装の道だけでなく、舗装された林道でも、アスファルトがヒビだらけで、その割れ目から雑草が伸び放題になっている場所もあった。

 いずれにしても、通過することができる場所はいい方で、獣害防止のために高さ2m近くになる金属製のフェンスが張り巡らされ、出入り口は鍵がかけられていた。よじ登って越えようにも、フェンスの上には有刺鉄線が存在感を主張していた。設置した地主の意思すら感じられる鉄壁ぶりである。大いに迂回することになり、雪に降られながらも、収穫の多い下見であった。

 地図上でルートを制作しただけでは、やはり現地の状況がつかみづらい。舗装路は単調なので、できるだけ登山道や未舗装の林道を使いたかったが、事前に確認しておかないと、右往左往することになりそうだ。

 3000kmすべてを下見することはできないものの、通過できるかが怪しい区間はなるべく下見に行こう。そう方針を決めた矢先に、各地で緊急事態宣言が出され、遠出が難しくなった。

 そこで、仕事でつながった登山アプリYAMAPの編集者にルートづくりを相談することにした。日本山脈縦走に興味を持ってもらえて、協力してもらえることになった。

 アプリ内にアップされた登山記録を使えば、ルートを引けるかもしれないとのこと。即答でお願いして、当時の縦走隊が通った地名や山名を伝える。

 登山アプリの中でも、YAMAPはトップクラスにユーザーが多い。その膨大なデータから情報を抽出するのだ。これは簡単にルートが確定するのではないかと期待が膨らむ。

 そして、何日か待った後にエンジニアチームからの回答をもらった。結論からいうと、ルートは引けなかった。困難だった要因のひとつは、ルートの起点と終点が違うこと。登山記録の多くは、帰着する場所が同じ。たいていは山を登って同じ場所に帰ってくる。いくつもの山々を縦走しても、同じである。その方が帰路につくのが簡単だからだ。もちろん、スタートして違う場所まで行くという記録も少なくないが、その場合も終着点から公共交通が使える、あるいは下山して街に出やすいなど、アクセスが良好なことが多い。

 それに反して、僕が依頼していたルートは、メジャーな山を登るでもなく、小さな峠を越えて下るだけの区間や、いったん下山してから舗装路を長い時間あるいて、次の山に向かうことになる。要約していうと、つまらないルートである。並々ならぬ体力が求められるだけで、見返りがほとんどない。そんな区間をわざわざ通るという、物好きな登山者など存在しなかった。

 ルートづくりはやはり難しいと再確認。しかし、収穫はあった。YAMAP以外でも、ネット上で調べた限りでは、日本山脈縦走を自分の足でやり遂げたという記録はなかった。やり方が確立されていることに挑むよりも、試行錯誤して進む方が大きな喜びが得られる。達成することだけに意味があるのではなく、すべての過程をも楽しめるのだ。目の前にある大小さまざまな障害も、乗り越えたり、迂回したり、いろんなやり方を試していけばいい。進んでいく自体に意味がある。そう考えれば、こんなに楽しいことはそうそうなかった。

若岡 拓也

石川県出身。大学卒業後、地元新聞社で記者として6年半を過ごす。2014年退職後にランニングを始め、3カ月後にアマゾンのジャングルマラソンを完走する。年々フィールドを広げ、砂漠、山岳、雪上など国内外のレースに出場を続けている。ランナー、ライター、ニュースディレクターなどとしても活動中。

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